7月13日は、中森明菜の声が80年代J-POPに刻んだ陰影をあらためて聴きたい

7月13日は、中森明菜の声が80年代J-POPに刻んだ陰影をあらためて聴きたい

7月13日は、中森明菜の誕生日。1980年代の日本のポップスを語るうえで、彼女の存在を外すことはできない。華やかなアイドル文化のど真ん中にいながら、どこか影を帯びた表情や低めの声色、楽曲ごとに空気を変える表現力によって、同時代のJ-POPに独特の緊張感と深みを持ち込んだ歌い手だった。

アイドルの枠を広げた、中森明菜という表現者

中森明菜は1965年7月13日生まれ。1982年にデビューして以降、「少女A」「セカンド・ラブ」「飾りじゃないのよ涙は」など、時代を代表するヒットを次々に残した。とくに80年代前半の日本では、アイドル歌手が大衆音楽の中心にいたが、そのなかで中森明菜は単に親しみやすいスターではなく、楽曲にドラマを宿らせる表現者として際立っていた。かわいらしさ一辺倒ではない、少し危うくて、でも目が離せないムードを成立させたことが、彼女を特別な存在にした。

80年代J-POPに、陰影と成熟を持ち込んだ歌声

中森明菜の歌の魅力は、メロディーをなぞるだけでは終わらないところにある。言葉の置き方、息づかい、少し引いたところから感情をにじませる歌い方によって、同じ時代のヒット曲のなかでも明らかに異なる質感を生んでいた。明るさや勢いだけではない、切なさや孤独、背伸びした危うさまでポップスに乗せられると示した意味は大きい。アイドルからJ-POPへの流れが洗練されていく過程で、中森明菜は歌の表現レンジを広げた象徴的な存在だった。

今日聴くなら

今日はまず「少女A」で、80年代の日本のポップシーンに走った鋭さを感じたい。そのあとに「セカンド・ラブ」や「飾りじゃないのよ涙は」を続けて聴くと、中森明菜が単なるヒットメーカーではなく、曲ごとに人物像まで作り替える表現者だったことがよくわかる。7月13日は、その声がJ-POPにもたらした陰影と成熟を、あらためて耳で確かめたい日だ。