7月7日は、宇崎竜童が日本のロックと歌謡曲の境界を押し広げた歩みを聴きたい

7月7日は、宇崎竜童の誕生日。日本のロックと歌謡曲の距離がいまよりずっと遠かった時代に、そのあいだを大胆に行き来しながら、大衆に届く強い楽曲を生み出した存在として振り返りたくなる日だ。バンドマンとしての荒々しさと、作曲家としての緻密さを同じ身体に宿した歩みは、日本音楽史のなかでも独特の輝きを放っている。
1973年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成し、日本語ロックの熱気を広げた
宇崎竜童の公式プロフィールによれば、1973年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成し、同年12月1日にシングル「知らず知らずのうちに」でデビューした。さらに1975年3月20日には「カッコマン・ブギ/港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」をリリースし、この曲は同年6月15日に有線大賞を受賞している。独特の語感を持つ阿木燿子の詞と、泥くささと疾走感を兼ね備えた宇崎のサウンドが結びついたこの時期の作品は、日本語でロックを鳴らすことの面白さを広く浸透させた。派手な流行歌として消費されるだけでなく、バンドの佇まいそのものが70年代の都市的な空気を刻んでいた点も大きい。
阿木燿子とのコンビで、山口百恵の黄金期を支えた作曲家でもあった
宇崎竜童の公式サイトは、彼が作曲家としても多数のアーティストに楽曲を提供し、阿木燿子とのコンビで山口百恵に「横須賀ストーリー」「プレイバックpart2」「さよならの向う側」など多くの楽曲を提供したと記している。ロックバンドのフロントマンが、同時に歌謡曲のど真ん中で時代を代表するシングル群を生み出したことは、日本のポップス史でも特筆すべき出来事だ。宇崎の曲には、覚えやすい強い輪郭と、歌い手の個性を押し出す劇性が同居している。だからこそ、山口百恵の表現力とも強く結びつき、歌謡曲を“時代のドラマ”として鳴らす力を持ちえたのだと思う。
今日聴くなら
今日はまずダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」と「スモーキン’ブギ」で、宇崎竜童のロックンロールの体温を感じたい。そのうえで山口百恵の「横須賀ストーリー」や「プレイバックpart2」に進むと、同じ作曲家がバンドの荒っぽさと歌謡曲のドラマ性をどう描き分けたかがよくわかる。7月7日は、宇崎竜童という一人の音楽家が、日本のロックと歌謡曲の境界をどれだけ広く押し広げたのかを聴き直す日にしたい。