6月21日は、都倉俊一が1970年代歌謡ポップスの大衆性を磨いた日

6月21日は、都倉俊一の誕生日。1970年代の日本のポップスを振り返ると、スターの個性を前に押し出しながら、誰の耳にも残るメロディを量産した作曲家として、この名前はどうしても外せない。歌謡曲が“お茶の間の熱狂”になった時代の中心にいた一人である。
山口百恵やフィンガー5を支えた、1970年代歌謡界のヒットメーカー
都倉俊一は1948年6月21日生まれ。大学在学中から作曲家として活動を始め、中山千夏「あなたの心に」で注目を集めた。その後は山口百恵、フィンガー5、和田アキ子らに楽曲を提供し、1970年代前半の歌謡界で急速に存在感を高めていく。都倉の仕事の強さは、歌い手のキャラクターを際立たせながらも、曲そのもののフックを強く作るところにあった。アイドル歌謡、ソウル寄りの歌謡曲、テレビ時代のエンタメ性を、ひとつのわかりやすいメロディに落とし込む手つきが抜群だった。
ピンク・レディーの大成功が示した“大衆ポップス”の完成形
都倉俊一を語るうえで外せないのが、阿久悠とのコンビで生んだピンク・レディー作品群だ。「ペッパー警部」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」「UFO」などの連続ヒットは、1970年代後半の日本のポップカルチャーを象徴している。振付、衣装、テレビ露出と結びついた楽曲でありながら、音だけで聴いても強い。そこにあったのは、単なる流行歌ではなく、反復したくなるリズム感と即効性のあるサビを持つ“大衆ポップス”の完成形だった。歌謡曲が消費されるだけでなく、時代の共通言語になっていく過程で、都倉のメロディは非常に大きな役割を果たした。
今日聴くなら
今日はまず、ピンク・レディーの「UFO」か「ペッパー警部」を聴いて、都倉俊一のメロディが持つ瞬発力を確かめたい。そこから山口百恵の初期作品や、フィンガー5のヒット曲へ広げていくと、同じ作曲家がいかに異なるスター像を描き分けていたかが見えてくる。6月21日は、1970年代の日本ポップスがどれほど巧みに大衆の耳をつかんでいたのか、その設計者の一人として都倉俊一を聴き直したい日だ。