5月14日は、戦後歌謡の気品を支えた奈良光枝を聴き返したい

5月14日は、奈良光枝の命日。戦後日本の歌謡史をたどると、映画とレコードとラジオが一体になってスターを生み出していた時代に行き当たる。その真ん中で、気品のある歌声と銀幕映えする存在感をあわせ持ち、流行歌を広く届けた歌手のひとりが奈良光枝だった。
1977年5月14日、奈良光枝が世を去る
奈良光枝は1923年6月13日に青森県弘前市で生まれ、1940年にコロムビアの専属歌手となった。古賀政男門下に入ったのち、1942年に藤山一郎とのデュエット曲「青い牧場」で初ヒットを記録する。戦後は映画と歌の両方で存在感を強め、近江俊郎と歌った「悲しき竹笛」が大ヒット。その後も藤山一郎との「青い山脈」、ソロでの代表曲「赤い靴のタンゴ」などを通じて、昭和の流行歌を象徴する歌手になった。NHK紅白歌合戦には9回連続で出場し、1977年5月14日に53歳で死去している。
戦後歌謡に“気品”を持ち込んだ存在
奈良光枝の重要さは、単にヒット曲が多いことだけではない。クラシック志向の素地を持ちながら、マイクで届く流行歌へと重心を移し、戦後の大衆文化にふさわしい歌の美しさを作った点にある。映画主題歌とレコードが密接につながっていた時代に、彼女の声は物語の余韻そのものとして機能した。「悲しき竹笛」の叙情、「青い山脈」の晴れやかさ、「赤い靴のタンゴ」の洗練は、それぞれ違う表情を見せながらも、奈良光枝の品のある歌唱によって一つの時代の空気に結びついている。戦後歌謡が“懐メロ”として消費されるだけではもったいないと思わせる理由は、まさにこの質感にある。
今日聴くなら
まずは近江俊郎との「悲しき竹笛」。戦後の歌謡映画がどれほど大衆の感情と結びついていたかを、まっすぐ感じられる一曲だ。続けて藤山一郎との「青い山脈」を聴けば、復興期の明るさと解放感が音楽にどう刻まれていたかがよくわかる。さらに「赤い靴のタンゴ」まで辿ると、奈良光枝が単なる映画主題歌の人ではなく、ソロ歌手としても独自の品格を残したことが見えてくる。5月14日は、戦後歌謡の輪郭を作った歌声を静かに聴き返したい。