5月7日は、青江三奈が歌謡曲に刻んだ“ため息”の色気を聴き返したい

5月7日は、青江三奈が歌謡曲に刻んだ“ため息”の色気を聴き返したい

5月7日は、青江三奈の生まれた日。1960年代後半から1970年代にかけての歌謡曲を振り返ると、彼女のハスキーボイスと“ため息”を含んだ歌い方はやはり特別だ。ムード歌謡やブルース歌謡を、お茶の間で共有される大衆音楽へ押し広げた存在として、いま聴き返す意味がある。

1941年5月7日、青江三奈が生まれる

青江三奈は1941年5月7日、東京都江東区に生まれた。西武百貨店勤務を経てクラブ歌手となり、「銀巴里」などで歌ったのち、1966年に『恍惚のブルース』でメジャーデビュー。同曲は80万枚を売り上げるヒットとなり、低く艶のある声で歌うブルース演歌の印象を強く残した。さらに1968年には『伊勢佐木町ブルース』が100万枚、『長崎ブルース』が120万枚を記録し、翌1969年の『池袋の夜』は150万枚を売り上げる自身最大のヒットとなる。誕生日からその歩みをたどると、青江三奈は短期間で歌謡界の中心へ駆け上がったことがよくわかる。

“ため息路線”を歌謡曲の記号にした意義

青江三奈の面白さは、単にヒット曲が多かったことだけではない。『伊勢佐木町ブルース』冒頭の色っぽい吐息に象徴されるように、声そのもののニュアンスを楽曲の顔にしてしまった点が大きい。同時期の森進一と並んで“ため息路線”と呼ばれたが、その表現は単なる話題作りではなく、街の名前を冠したご当地ソングやブルース歌謡に濃い情感を与えた。1968年には『伊勢佐木町ブルース』で日本レコード大賞歌唱賞、1969年にも『池袋の夜』で同賞を受賞しており、色気やムードが日本の大衆歌謡の一つの様式として定着したことを、青江三奈のヒット史は物語っている。

今日聴くなら

まずは『恍惚のブルース』で、青江三奈がデビュー時から完成された個性を持っていたことを確かめたい。続いて『伊勢佐木町ブルース』を聴けば、イントロの吐息からサビまで一気に空気を変える歌の強さがわかるはずだ。さらに『長崎ブルース』や『池袋の夜』まで広げると、地名を背負った歌が単なるご当地ネタではなく、都市の夜の気分そのものを運ぶメディアだったことにも気づく。5月7日は、昭和歌謡の色気がどこから来たのかを耳でたどる日にしたい。