5月3日は、橋幸夫が生まれた昭和歌謡の節目をたどる

5月3日は、橋幸夫の誕生日。1960年代の歌謡曲を語るとき、舟木一夫、西郷輝彦と並ぶ「御三家」の存在はやはり外せないが、その中でも橋幸夫は、股旅ものの親しみやすさと、時代の変化に合わせて歌謡曲を更新していく柔軟さの両方を持っていた。この日をきっかけに、昭和歌謡が大衆文化の真ん中で鳴っていた時代の熱をたどってみたい。
1943年5月3日、橋幸夫が東京に生まれる
橋幸夫は1943年5月3日、東京府東京市荒川区に生まれた。1960年7月5日には「潮来笠」でデビューし、第2回日本レコード大賞新人賞を受賞。さらに同曲でその年のNHK紅白歌合戦にも初出場を果たしている。デビュー初期は「沓掛時次郎」「中山七里」など、いわゆる股旅ものの歌謡曲で広く人気を集め、1960年代前半の歌謡界で一気に存在感を高めていった。誕生日そのものは静かな節目でも、日本の大衆歌謡史の流れで見ると、のちに長く続く国民的人気の起点につながる日だと言える。
「潮来笠」から「いつでも夢を」へ、昭和歌謡の幅を広げた存在
橋幸夫の面白さは、ひとつの型に閉じなかったところにある。股旅もののイメージが強い一方で、1962年には吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」を発表し、第4回日本レコード大賞を受賞。さらに1966年には「霧氷」でも日本レコード大賞を受賞している。泥くささや庶民性を感じさせる楽曲から、都会的で洗練された歌謡曲まで歌いこなしたことで、橋幸夫は単なるスター歌手ではなく、昭和歌謡そのものの懐の深さを体現する存在になった。のちに「御三家」と呼ばれる人気も含め、60年代の歌謡界がどう大衆に開かれていったかを考えるうえで、橋幸夫の歩みはかなり重要だ。
今日聴くなら
今日はまずデビュー曲「潮来笠」を聴いて、言葉の運び方や節回しの強さを味わいたい。そのあとに「いつでも夢を」をつなげると、橋幸夫という歌手が持っていた柔らかさや親しみやすさがよく見えてくる。さらに「霧氷」までたどれば、同じ歌手が時代の空気に合わせて表情を変えながら長く第一線に立ち続けたことも実感できるはずだ。5月3日は、昭和歌謡の王道がどう育っていったかを確かめるのにちょうどいい日になる。