4月20日は、民謡をお茶の間へ広げた赤坂小梅の誕生日を振り返る

4月20日は、赤坂小梅の誕生日。昭和歌謡のスターという言い方だけでは少し足りない。彼女が大きかったのは、民謡や座敷唄の魅力をレコードと放送の時代へ持ち込み、日本各地の歌を「その土地だけのもの」から全国区のレパートリーへ押し広げたことにある。
福岡で育った芸者歌手が、1933年に全国区へ飛び出した
赤坂小梅は1906年4月20日、福岡県田川郡川崎町に生まれた。16歳で置屋に入り、「梅若」の名で芸者として修業を積み、福岡でその歌の巧さを知られる存在になっていく。転機になったのは1929年、中山晋平と藤井清水に歌を聴かれたことだった。これをきっかけに録音を行い、1931年には上京して赤坂の料亭に移り「赤坂小梅」と改名。さらに1933年、コロムビア専属となり、古賀政男作曲の「ほんとにそうなら」をヒットさせた。民謡や芸者歌が都市の大衆音楽と結びつき始めた時代、その流れの真ん中にいたのが赤坂小梅だった。
「黒田節」「おてもやん」で、民謡をお茶の間の歌へ変えた
赤坂小梅の名前を今も強く残しているのは、「黒田節」と「おてもやん」だ。1942年には福岡の民謡「黒田節(黒田武士)」を録音し、のちに彼女の代名詞と呼べる代表曲へ育てた。1950年には「おてもやん(熊本甚句)」も大きな人気を得て、戦後の日本で民謡が広く聴かれる流れを後押しした。NHK紅白歌合戦には1951年から1956年の間に4回出場し、1974年には紫綬褒章を受章。民謡を郷土芸能として守るだけでなく、レコード、ラジオ、テレビを通じて全国に届けた功績がここにはある。地方の歌を大衆音楽の文脈へ接続した橋渡し役として、赤坂小梅はかなり重要な存在だ。
今日聴くなら
今日聴くなら、まずは「黒田節」を聴きたい。凛とした節回しの中に、赤坂小梅の太く豊かな声がしっかり刻まれていて、民謡が単なる保存ではなく“聴かれる音楽”として磨かれていったことがよくわかる。続けて「おてもやん」を聴けば、同じ歌い手が民謡をどれだけ親しみやすく、華やかに響かせられたかも見えてくる。4月20日は、ヒットソングの歴史だけでなく、日本の大衆音楽が各地の民謡をどう吸収してきたのかを考える日にしてみたい。